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東海道五十三次 Noboru ウォーキング④

江戸時代の旅人の気分で、旧東海道を歩く。
今月は、宮宿(あつた)~鳴海宿~池鯉鮒宿の2回歩きました。

第10回は12㎞、あつたの宮宿の七里の渡し跡からスタート、そしてすすんでゆくと「地元も地元」を通ることに。
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「熊野三社」実家からすぐのところにある神社で、こどもの頃に秋祭りにはたくさんの露店が出て小遣いをにぎりしめて遊んだ記憶があります。模様(動物とか)が細工された飴菓子を針で「型を上手にきりぬく」とお金と交換してくれる露店がありました。割れてしまうと「ただの飴」になるというものでハラハラしてやった覚えがあります。今回、この神社がある地域一帯が「松巨嶋(まつこじま)」と言われる台地であることを初めて知りました。ただ、海が近くまで入り組んでいたことは、「桜田(さくらだ)へ、鶴(たづ)鳴き渡る、年魚市潟(あゆちがた)、潮干にけらし、鶴(たづ)鳴き渡る」と万葉集に詠われ、母校桜田中学の校歌にも出てくる「年魚市潟(あゆちがた)」で知っていました。この「あゆち」が「愛知」の由来と言われています。
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続いて「笠寺観音」、通った母校桜台高校にも近く、何十年かぶりに境内に入りました。そしてすぐ近くには、現存する「笠寺の一里塚」、車では一瞬で通り過ぎてしまうので、直に見たことがありませんでした。いい機会になりました。
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鳴海宿から、有松絞りで有名な「有松の風情のある街並み」へ、この日が「有松まつり」で大賑わい!ですごい人出でした。ボランティアガイドの方が楽しい解説をしてくださいました。知っているようで知らなかった有松でした。山車や猩々も出て活気がありました。


 
第11回16㎞の旅は、名鉄の前後駅から池鯉鮒(知立)宿へ、なんといっても松並木が知立から安城にかけて続いていて趣がありました。総持寺と知立神社も立派なところでした。銘菓の「大あんまき」を老舗の小松屋さんで皆で、おやつとしていただきました。店主の方が大あんまきと東海道について歴史的なことを説明して下さいました。広重の絵では、池鯉鮒で「馬市」が開かれていた様子が描かれています。そんな光景があったとは想像できませんからなんとも不思議でした。
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総持寺と知立神社
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長良川の鵜飼

先月5月下旬に、人生初の鵜飼い見学の船に乗船しました。

「岐阜長良川の鵜飼」は有名(岐阜の関の鵜飼もある、こちらも良いらしい)で、TVで何度も見て知っているような、行ったことがあるような気になっていましたが、人生初の船からの間近での鑑賞!
機会あって乗船場から徒歩5分のホテル、長良川温泉 ホテルパークさんに宿泊、「早い夕食後の鵜飼い鑑賞乗船パック」のプランがあり利用。

かがり火を焚いての鵜匠が操って1300年の歴史nある鵜飼い、長良川の鮎を獲る方法、すごいなぁ~と
一生懸命に潜って鵜が頑張っているシーンは荘厳な感じでした。
終了後にちゃんと鵜は餌をもらっているところも見られました。野生の鵜よりも長生きするそうで、健康管理がしっかりしているのだと知りました!

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金華山の岐阜城の下、長良川からの景色
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ライトアップされた岐阜城
翌日岐阜城にのぼりました(2度目)。今回も上りはロープウエーで、下りは歩きで
織田信長も見たであろう天守からの眺め、伊吹山方面を望む  絶景!
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東海道五十三次 Noboru ウォーキング③

DSC_4368.JPG江戸時代の旅人の気分で、旧東海道を歩く。昔の人はどんな思いで、どこまで歩いたのか。

不思議の気持ちになります。関宿から庄野宿15㎞、庄野宿から四日市宿15㎞、そして 
四日市宿から桑名宿14.5㎞の3回を振り返りました。京都三条大橋から121.5㎞の総距離となっています。

関宿から庄野宿では、結構な雨が降る中のウォーキングでした。危険ということで傘をさしての歩行は禁止のルールで、カッパを着てとなりました。ゴルフで雨の中のラウンドは経験ありますが、一日中でしたのでカッパも靴もベタベタで大変でした。関宿のとおりを一望できるところからの景色も雨でけむる感じでした。

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東海道関宿名物 志ら玉の前田屋製菓 お土産に買いました
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現存する野村の一里塚

庄野宿から四日市宿では、広重の名画「庄野の白雨」では、絵の構図や人の動きも面白いが、傘に「五十三次」と版元の保永堂のオーナー名「竹のうち」を宣伝として入れるなど興味深いものでした。そして、広重の「石薬師の蒲桜」は、ゴッホの絵にも描かれていることを知り、不思議だな~と!
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石薬師の一里塚
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石薬師寺に、広重の「石薬師の蒲桜」とゴッホの「タンギー爺さん」
のポスター絵。反射がありうまく撮れませんでした。不思議でした。
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あすなろう鉄道 追分駅  
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「日永の追分」伊勢街道と東海道の分岐点

四日市は諏訪大社から
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 今回の終点は桑名宿の七里の渡しまででした。ウォークリーダーのガイドが素晴らしく、歴史に詳しい上に、エピソードなどを交えて解説してくれて、毎回楽しみなのですが、知らないことを教えてくれるので、新鮮です。それが今回は、「町屋御用水」!
 昨年の大河「どうする家康」でも注目された家康の側近「徳川四天王」の一人「本多忠勝」が関が原の戦いのあと、西の要衝、重要拠点として任されたのが桑名藩で初代藩主でした。そして、桑名城の築城とともに城下町の町並みも整備されるなか、水の確保が緊急課題となり、4代桑名藩主、松平定行(さだゆき)が上水道の建設を命じ、1626(寛永3)年より着手したのが「御用水道」、通称「町屋御用水(まちやごようすい)」。
桑名は木曽・長良川の河口に位置し、元々は海であった場所に泥や砂が堆積してできた低湿地帯のため、水質が悪く飲料水を得るのが困難でした。そこで町屋川から水を引いた水道をつくり、町内の主要道路の地下に筒を埋め、所々の道路中央に正方形の升を開けて、一般の人々が利用しました。これを「通り井」というそうで、「町屋御用水」は、町屋川を水源とした全長約2kmの水道です。町屋川から吉津屋御門(今の鍛冶町・旧ふれあい教室)まで開渠(かいきょ)で通され、そこから先へは地中の樋管(ひかん)を通って城内及び城下の町へ水が運ばれていました。こうして「町屋御用水」は、明治時代に近代水道(諸戸水道)が開通するまで約280年間もの間、桑名町民の生活を支えていました。1962(昭和37)年、工事のため道路を掘っていて、「通り井」跡の一つが発見されました。現在は道路面に「井」と書かれた石がはめこまれています。写真
江戸時代に2kmもの導水し水道を整備するとは凄い治水技術だったと、初めて知り感心して町を歩いたのでした。
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桑名神社と春日神社
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 桑名城の御堀と石垣

通り井の石
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七里の渡し跡
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GW 錦帯橋・鞆の浦・尾道千光寺

以前から一度訪れたかった
岩国の錦帯橋・福山の鞆の浦・尾道千光寺へ

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①錦帯橋と岩国城・・・TV「ブラタモリ」でも放映されましたが、歴史的にも建造物としても興味深く、そこを渡って、そして城からも眺めてみたかった。

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宿泊は錦帯橋の目の前、岩国国際観光ホテル。露天風呂良し、錦帯橋を眺めながらの会席料理は絶品でした。
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②2日目は、広島県福山市の「鞆の浦」へ、1867年(慶応3年)4月23日坂本龍馬の海援隊の「いろは丸」が瀬戸内海の六島沖で、紀州藩の「明光丸」と衝突沈没。紀州藩と談判交渉した場所が鞆の浦でした。
交渉中に龍馬が宿泊した宿で、身の危険からの隠れ部屋も訪れました。
現存し、かつて龍馬が寝泊まりした部屋に入ることができ不思議な気持ちになりました。

最初の談判をした場所
「いろは」宿泊もできますが、食事が出来「鯛漬け料理」がいただきました。運よく昼の開店している時間最後ギリギリで入れました。鯛漬けとだし巻き卵が物凄く美味しかった。
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鞆の浦のシンボル常夜燈

このすぐそばに「いろは丸展示館」が
詳しく衝突事故について展示が
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談判交渉のあった對潮楼から見える景色 

そして龍馬の隠れ部屋のある「桝屋清右衛門宅」


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東海道五十三次 Noboru ウォーキング②

昔の旅人の気分を味わいながら・・・

東海道を江戸日本橋に向かって!

3/30(土)水口宿~土山宿へ 約16㎞

水口宿本陣跡を出て近江鉄道踏切を超えてゆきます。
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徳川四天王の本多忠勝の叔父が住職であった「大徳寺」大将軍徳川家康から名前がつけられたと
境内の一角に「家康が腰掛けたという腰掛け石」があり、座ってみました!

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未だに住みながら保存している数少ない土山宿本陣、館内には貴重な資料がすらり、宿帳には勝海舟の名も!

4/6(土)土山宿から鈴鹿峠を越え、坂下宿、そして関宿へ! 約14㎞ 
道の駅「あいの土山」の目の前にある田村神社から出発
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鈴鹿峠を下っていきますが、下が滑りやすくストックを使って下りてゆきました。
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1979年に廃校になった旧坂下尋常高等小学校↑
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関宿入り口までわずかになったところで、中京テレビ番組「PSゴールド」で
有名になった焼肉店「びっくりや」!が
右手に!
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関宿入り口でゴール!この日は桜がどこも満開でキレイでした!
京都からの歩行総距離は80㎞、まだまだ先は長い!





東海道五十三次 Noboru ウォーキング①

今年は健康維持に、定期的にウォーキングと思い、

関ケ原の戦いのあとに徳川家康が全国の街道整備した中でも重要な街道であり、京都と江戸を結んだ
東海道を歩くことにしました。

「五十三次の宿場、宿から宿へ毎回10㎞から15㎞ほど歩く、1年半かけてツアー」で京都から江戸日本橋まで上ります

1/27(土)の京都三条大橋から大津宿、2/3(土)草津宿、2/24(土)石部宿、3/2(土)水口宿まで約50㎞上ってきました。
街道沿いの歴史などをウォーキングガイドさんから聞きながら見ながらの旅歩きです。
歴史・地理が好きな私にとっては、魅力満載の旅です。

学生時代そこへ行ったことがあるのに、あるいは通ったことがあったのに、知らなかった歴史や事柄に触れることができ非常に面白いです。

これまでの4回の中では、初回
京都三条大橋から大津宿が非常に興味深い歩きでした。初めて知ることばかり! 
①京都三条大橋の幕末の池田屋事変の刀傷が大橋の欄干の擬宝珠にある事
②京都~大津宿の間に逢坂峠など山坂を牛車が通る際に、ぬかるんだ道だと上がれないなどを防ぐために「車石」と呼ばれる石を敷き詰め、車輪が通る2本筋を石に掘って、さながら鉄道のレールのような役割でスムーズに往来できるようにしたというもの、実に機能的でした。


京都三条大橋にある東海道中膝栗毛』の主人公の弥次郎兵衛と喜多八、『弥次さん喜多さんが。ここをスタートしました。そして刀傷が

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京都蹴上にある琵琶湖疎水の南禅寺へ続くインクランにある「ねじりトンネル
この近くには日本初の水力発電所あともあってビックリ
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実際の車石が途中休憩できるスペースにありました。




































そして途中には大津から京へ向かう際に分かれ道となる追分なども残っていました。
左手は宇治へ向かい道。
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大津宿から草津宿への途中に瀬田の唐橋があり、「急がば回れ」の由来

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草津市のマンホール
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近江富士と草津線の電車 草津宿から石部宿へ向かう途中
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石部宿から水口宿への途中、江戸時代1822に建立された横田の常夜燈、ここに野洲川の渡しがありました。
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水口神社にある案内、水口曳山祭が毎年4月に!
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