プロ野球、中日ドラゴンズの選手だった
「一発長打の大島くん」こと、大島康徳さんが亡くなられた。享年70歳
現在、
中日新聞の夕刊でコラムを連載しているので、連載中の夕刊を楽しみにしていました。
大腸がんと闘病を続けながらでした。
6月30日に亡くなられて、公表が今日ということで、ビックリ!
中日新聞社は原稿があるので最後まで掲載するのだと言う。
連載の最後には、史上最弱の今年のドラゴンズに喝を入れてくれるのかと期待していました。
熱血漢の彼は、きっとあまりにも弱いドラゴンズを心配していたと思います。
本塁打王、2000本安打も達成した名選手で、特に1982年の優勝では大活躍した印象が残っています。
応援歌
「燃えよドラゴンズ」の1期バージョンで「一発長打の大島クン」として名を馳せましたが、
記録以上に記憶に残るドラマを作ってくれた印象が強い、そしてなんといってもチャンスに滅法強い選手でした。
でなければ、
1イニング2ホームランを2回もできません!
史上19回あるらいしいですが1回でも凄いのに
2回やってるのは大島さんだけ!
そして
年間代打ホームラン7本は史上最多!記録は破られていません
凄すぎます!
今から39年前
1982年昭和57年9月28日 の近藤監督率いる「野武士野球軍団」のクリーンアップの5番を任され
対ジャイアンツの
名投手、江川投手を9回ウラに2-6の4点差をはね返した奇跡の同点劇、
反撃ののろし豊田・モッカ・谷沢選手、の3連打、そして大島選手の犠牲フライ、これに
宇野・中尾選手が続き同点!怒涛の攻撃とはこのことか!
10回ウラにとうとう、三塁の原のエラーで江川投手をマウンドから引きずりおろして、
リリーフ角投手が2四球で満塁、
最後は大島選手がセンター前にサヨナラヒット!
劇的すぎるシーンで鳥肌が立ちました!
この年に
ドラゴンズは優勝!当時学生で大阪にいましたが
優勝した日にはその感動を味わいたいと名古屋に帰省した事を覚えています。
当時の中日の選手は、「オレのところにチャンスが来い!」という
勝負強い選手ばかりでした!
大島選手は満塁に強かった!
本当に感動を有難うと言いたいです。
大島さん安らかに
ご冥福を心からお祈りします。
昭和57年の雑誌、ドラゴンズ優勝記念号から!


大島、谷沢、モッカのクリーンナップ!
優勝胴上げ前のシーン 手前左が大島選手

中日新聞 7.5の夕刊 「この道」 星野仙一さんについて書かれていました